今日から4月
我が家もやっと新しくはないものの 日常生活へと一歩を踏み出しました。
地震が起こった日から あっという間だったのかな・・不安な事も続き、これからどうなっちゃうんだろう
と思う事も多々ありましたが こうやってまたお店を開く事が出来た事は本当にありがたい事だなと
思っております。
地震の時 ちょうどお客様の髪を洗っている最中で 最初 軽い余震があったんです。
それで 「最近 地震が続いてますよね~」なんて世間話をしていたら
あれよあれよと揺れがひどくなってきて どーんという地鳴りのような音が聞こえて
あわててお客さんを起こして お客さんはあわてて外へ飛び出していき
私と主人はぐらんぐらん揺れている棚を押さえながら 半ばパニック状態でした
店内にある ぶら下がっている電球同士がゆりこの様に揺れて ぶつかってパリーンと割れて落ちたり
と 長かった揺れの間 本当に恐怖の一言でした。
やっと揺れも収まって お客さんも家が心配とすぐに帰られて
改めて 店を見渡すと ガラスと 観葉植物の土まみれ・・・
裏の部屋が私のSHOPのアトリエになっているんですけど 狭い部屋なので棚を作り
上へ上へと収納していたのがあだとなり 見るも無残な状況になってました。
(作った作品は キチンと扉付きの棚の中に収納していましたので無傷ですのでご安心を)
流れるラジオでは 津波が10M以上くると連呼していて 10M!?
想像が付きませんでしたが 後で自宅で見た東北の津波の映像には胸を締め付けられる思いでした。
当日は電気・水道・プロパンガスも大丈夫でしたが 次の日から水が止まり 給水に3時間待って
やっともらえたり 食品を買わねばと買い物にも回ったりと 慣れない生活と疲れでダウンしてしまいました。
夫の実家には 義母の実家が津波で半壊し おまけに原発の避難区域に入ってしまい
おじいちゃん おばあちゃん おじさん家族 その子供家族と15.6人が避難してきて 凄い状況に・・
食事の支度や水汲みなど できる事をなるべく手伝いに行ってたりして あっという間に1週間が経過し
その間も原発は悪いニュースが流れるばかり・・・・・。
実家に身を寄せていたいとこ達もまた別の所に分かれていき
じいちゃんばあちゃんも 病院にすぐ見てもらえるように 頼れる所を見つけて新潟にいき
義父・母も 横浜の親戚の家に義妹家族としばらく世話になりに行くということになり
あれだけ賑わっていた 実家に誰もいなくなり 街もゴーストタウンの様になってしまい
私の両親・姉から 再三 とりあえずこっちに来たらと言われていたので 千葉まで帰っていました。
実家で10日程 お世話になりましたが いつまでも何もしない生活の訳にはいきませんし
お店の止まっていた水道も復旧したとの知らせがあったので とりあえず家に戻ってきました。
沢山の方から心配のメールを頂きまして 本当にご心配おかけいたしました。
私の住む 福島県いわき市は何度もニュースにも出てくる街です。
いわきは結構大きな市で 私の所は真ん中よりも下位かな 上の一部のいわきが避難区域に
入っています。 海側の小名浜は凄い被害だったみたいです。
私の住む近くは 建物も倒壊もほとんどなく 水ももどり 昨日あたりからスーパーも
開き始めだいぶ日常生活にもどりつつあります。 それは本当にありがたい事だと思ってます。
ガソリンスタンドがまだ閉まっている所があったり まだ行列を作らないと入れられないみたいです。
体調も戻りましたので なるべく自転車をのり 質素倹約に努めて頑張って行きたいと思っております。
SHOPも引き続き頑張っていきたいと思いますのでどうぞ宜しくお願い致します